前回は、フィレンツェ大聖堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会について、その内陣上部の巨大なドーム構造が、当時の建築技術で施工上、いかに困難なものであったかについてお伝えしました。
このドーム工事にまつわる諸問題を解決し、大聖堂の設計者として広く知られることになる、フィリッポ・ブルネレスキが登場するのはさらに半世紀を待つことになります。
工事は戦争などのため、何度かの中断をはさみつつ、14世紀末までには、身廊部分のヴォールト架構が完成し、続いて、八角形の内陣部分の工事が開始され、1412年には、新しい聖堂の名称を「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」とすることが決定されました。
この頃にはドームをのせるための壁体がほぼ立ち上がりつつあり、1417年には、内陣各壁面に取り付くチャペル群の工事がほぼ完成していました。この段階になって、初めてドーム建築の工事手順について真剣に検討を始めることになります。
1418年、ドーム建造のための型枠や工事のための道具・機械・作業足場などについてのアイデアを募集するため、公開設計競技が行われました。10数件の応募があった中から、1420年、フィリッポ・ブルネレスキとロレンツォ・ギベルティが工事監理者として指名され、建物各部工事の職人達が選ばれました。
船頭二人ということで、ブルネレスキとロレンツォの間には、設計案をめぐって、かなりの軋轢があったようで、興味深い記録が様々残っていますが、その後の工事の成り行きから、事実上ブルネレスキに全体の指揮が任されていたようで、最終的には彼の案が実施案として認められたと考えられています。
そして、1420年8月7日、ドームの工事が開始されます。
1423年頃までの初期段階の工事では、ドームを支える基壇部分の補強や工事に必要な機械類の製作などが主に行われました。
石造の壁の中にはらみ留めのワイヤーリングや、丈夫な木材による固定枠を埋め込む作業等に、ブルネレスキの様々な創意工夫が発揮されたわけですが、彼の設計案の最大のポイントは、この巨大ドームを仮枠なしで建造するということにありました。
(次回へ続く)
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