2018.06.20 08:07シドニー オペラハウス⑤~構造設計の功績~こんにちは、ケンです。 前回は、連続的に曲率が変化する曲面の施工が、実現不可能であること。それに対して、オペラハウスの複雑な屋根曲面をひとつの球形の一部と見立てて、 全ての曲面をひとつの球の曲面から切り出すという、ウッツォンのアイデアをご紹介しました。 ウッツォンはコンペを勝ち獲ったものの、これほどの巨大なプロジェクトを担当した経験もなく、事務所の体制も整っていませんでした。オペラハウスの施工は、設計が終わる前からスタートし、現場は刻一刻と進むなか、それでも実現にこぎつけられたのは、構造設計者アラップのマネージメント能力によるところが大きかったといわれています。 シドニーオペラハウスは、当初4年で完成するはずだったものが、14年かかりました。建設も半ば...
2018.05.20 08:04シドニー オペラハウス④ ~ひとつの球から曲面を切り出す~こんにちは、ケンです。 前回は、卵の殻のような滑らかなシェルが実現不可能だとわかり、振り出しに戻った屋根の設計が、シェルをリブで補強する案が採用されることにより、応力的にはどうにか設計出来そうな見通しが立つところまでを、お話しました。 しかし、シェルのような曲面を用いた建築物では、いかに設計するのかということと同時に、いかにつくるのかという施工上の諸問題が、重要な論点となります。 シェル構造の建設コストは、一般に構造体そのものよりも、型枠・支保工により多くの費用がかかります。小規模なものであれば、任意の形状を手間暇をかけて、つくることはできます。しかし、シドニーオペラハウスのような単一のビッグプロジェクトでは、繰り返しのない複雑な曲面では、型枠の作成に...
2018.04.20 08:04シドニー オペラハウス③ ~実現不可能であることを確認するために~写真はBrian Voon Yee Yapによるこんにちは、ケンです。前回は、シドニー オペラハウスのコンペ案について、その屋根曲面のスケッチを数学で解析することの困難さについてお話しました。設計者であるヨハン・ウッツオンの「卵の殻のようになめらかな曲面にしたい」という強い意志を実現しようと、オブ・アラップと構造設計技術者達は、想定を超える長期間、苦心を重ねることになります。 まずは、屋根の曲線を放物線に見立てて、解析作業が始まりましたが、すぐにシェルの足元の曲げ応力があまりにも大きくなり過ぎて、設計出来ないことがわかりました。この強大な曲げモーメントに対応するため、シェルを2重構造とし、その中に鉄骨トラスを組み込む案、開口部をルーバー状の壁で補強し、...
2018.02.20 07:46シドニー オペラハウス② ~幾何学にのらない曲線~こんにちは、ケンです。1958年、シドニー港に突き出す岬の先端にオペラハウスを建設する計画が立ちあがり、国際コンペが実施されました。世界から200件を超える応募が集まり、国際的にはまったく無名のデンマーク人建築家ヨーン・ウッツォンが選ばれました。ウッツォンはフリーハンドで外観スケッチを描き、風をはらんで重なり合うヨットの帆ような、そのなめらかで優雅な曲線は、審査員のみならず、当時の世界中の人々を魅了しました。しかし、このスケッチは、解析することもできなければ、つくることも出来ない、言ってみれば空想上の産物でありました。薄い曲面は、鉄筋コンクリートのシェルとして建築的に実現されるわけですが、この時、曲面に面外の曲げが発生すると、リブや折版構造等による補強...
2018.01.20 07:22シドニー オペラハウス① ~伝説の難工事~ 世界三大美港の一つ、シドニーのポート・ジャクソン湾に突き出たベネロング岬に、総合芸術劇場のオペラハウスが立っています。屋根・外壁は連続した曲面で構成されていて、白色と淡い桃色の釉薬をかけたスウェーデン製のタイルが張られていて、その船舶の帆のような、あるいは貝殻を合わせたような独特な外観は、シドニーのみならず、オーストラリアを代表するランドマークとなっています。2007年には、世界遺産に登録され、学術審査にあたったTICCIH(国際産業遺産保存委員会)は、「コンクリートの新しい使い方を提言し、独創的な構造を支えるため新たな補強材のリブを考案したことは将来的な建築の可能性を広め、その意匠は創造性と革新性を兼ね備えている」と評価しています。シドニー オペラ...
2017.11.08 09:51フィレンツェ大聖堂⑤フィレンツェ大聖堂を見上げるブルネレスキ像前回は、フィレンツェ大聖堂のドーム工事について、内部仮枠を使わずに進める手法をご紹介しました。今回は、ブルネレスキが工事の過程で発明した様々な機械について、取り上げたいと思います。
2017.09.20 09:48フィレンツェ大聖堂➃内陣からドームを見上げる前回は、フィレンツェ大聖堂のドーム工事に関わった職人達について、ドーム外殻の2重シェル構造とからめて、ご紹介しました。今回は、ドーム工事の進め方について、当時の資料と今もドームに残る工事の痕跡から、たどってみたいと思います。20世紀初めまで、内部の仮枠なくしてドームを建設する手法については、様々に議論されてきましたが、決定的な資料の収集はまだ十分とは言えません。有力なヒントとされる資料として、例えば、18世紀のフィレンツェの技術者による、ローマ サン・ピエトロ大聖堂の工事に用いられた内部足場の再現図が残っています。しかしこれは、内部仮枠工法を前提にしたスケッチであり、残存するフィレンツェ大聖堂ドーム工事の「仕様書」に明記されてい...
2017.08.30 04:24フィレンツェ大聖堂③ 前回は、1296年の着工から、100年超の時を経て、聖堂建設のクライマックスである、ドーム部分の工事が開始されるまでの流れをご紹介しました。今回は、ドーム工事に参加した職人たちの動線と働き方について、ドーム外殻の2重シェル構造をからめて、補足説明したいと思います。 フィレンツェ大聖堂の象徴であるドームの外殻は、2重のシェルからなっています。2重シェルの役割については、ドーム総重量の軽減のためといわれていますが、実際のところ、ドーム架構の強度としては、頑丈な8本の補強リブと分厚い内側のシェルだけでも十分なはずで、薄い外側のシェルは構造的にはさほど貢献していないと考えられます。 2重シェルの隙間を利用して、ドーム頂部までらせん状に階段が設けられています。...
2017.08.25 06:33フィレンツェ大聖堂②前回は、フィレンツェ大聖堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会について、その内陣上部の巨大なドーム構造が、当時の建築技術で施工上、いかに困難なものであったかについてお伝えしました。このドーム工事にまつわる諸問題を解決し、大聖堂の設計者として広く知られることになる、フィリッポ・ブルネレスキが登場するのはさらに半世紀を待つことになります。工事は戦争などのため、何度かの中断をはさみつつ、14世紀末までには、身廊部分のヴォールト架構が完成し、続いて、八角形の内陣部分の工事が開始され、1412年には、新しい聖堂の名称を「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」とすることが決定されました。この頃にはドームをのせるための壁体がほぼ立ち上がりつつあり、1417年には、内陣...
2017.08.23 07:28フィレンツェ大聖堂①著作者:Miguel Jiménezオレンジ色のドーム屋根が印象的な「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」は、通称「ドゥオーモ」と呼ばれ、全長153メートル、幅90メートル、高さ107メートル、ドーム部分の内径43メートルと、聖堂としては世界で4番目に大きい建物として、古都フィレンツェのシンボルとなっています。教会内陣上部のドームは、石積み建築としては世界最大で、晩期ゴシック~初期ルネサンス建築の代表作として知られています。今回は、この世界最大の組石造によるドーム建築を実現した、その工法と、発案者である、フィリッポ・ブルネレスキについて取り上げたいと思います。 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建設は、1296年、当時フィレンツェの大聖堂であ...