前回は、1296年の着工から、100年超の時を経て、聖堂建設のクライマックスである、ドーム部分の工事が開始されるまでの流れをご紹介しました。
今回は、ドーム工事に参加した職人たちの動線と働き方について、ドーム外殻の2重シェル構造をからめて、補足説明したいと思います。
フィレンツェ大聖堂の象徴であるドームの外殻は、2重のシェルからなっています。2重シェルの役割については、ドーム総重量の軽減のためといわれていますが、実際のところ、ドーム架構の強度としては、頑丈な8本の補強リブと分厚い内側のシェルだけでも十分なはずで、薄い外側のシェルは構造的にはさほど貢献していないと考えられます。
2重シェルの隙間を利用して、ドーム頂部までらせん状に階段が設けられています。現在では、世界中からの観光客が列をなして登り降りをしています。長きにわたる建設工事の期間には、この階段は職人たちが、安全かつ容易に、スピーディに移動するための通路・休憩場所として、また、その後の補修作業の利便性を考慮して設けられたようです。
記録によると、ドーム工事の初期段階で3件の転落事故があり、ブルネレスキも、工事現場の労働環境には相当心くだきました。ドーム基壇のプラットフォームには休憩所や売店が設けられ、ワインやパン、上げ下ろしの籠等を使って、調理したお惣菜まで売っていたそうです。
上記の施策は、職人たちの労務管理のためになされたものでもありました。職人が仕事中に持ち場を離れることを防ぐために、砂時計と黒板等も置かれていて、出勤状況がしっかり記録されていました。「職人が鳩の巣を取るために、クレーンを使用してはいけない。また、人間の昇降用として使用してはいけない。」等の細々とした通達も記録に残されています。
当時の作家達の記述によると、ブルネレスキが職場の規律を厳しくして、工事の生産性向上を図ったことが強調されています。ドーム工事は戦争のための予算停止などで、幾度か停滞を余儀なくされましたが、ドーム頂上の塔を残して1436年には完成していました。
これは、この時代の大規模な建設事業としては、かなり効率的に行われたといえるのではないでしょうか。
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